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Sep 11 2014

日記

男子校だからかわからないけれど先生はみな男で 唯一保健の先生だけが女性だった。 あるときそれが入れ替わって若い女性となったので、 我々は多いに喜んだ。 確かに前の保健の先生よりは若かった。 比較対象もなしに「若くて」「美人の」と修飾してよかったは わからないが、 当時思春期まっただ中にあった我々には正しい判断は到底できなかった。 しかし、そう思った。 担任の先生が、あの先生、左手に指輪してるぞ、と教えてくれた。

結局保健室を活用していたのは当時私くらいのものだったと思う。

ある者は授業中にその席の前に半分だけ突き出ていた柱と 大げさに大きな筆箱の二重にGBAを隠して遊んでいたが、 あるとき化学の先生に見つかって大目玉を食らっていた。 その他のものはきちんと先生を選んで授業中にゲーム機で遊ぶというスリルを味わっていた。 例えば、保健体育の授業なんかは大変都合が良かった。 仮に見つかっても対して怒られないし、 決して取り上げられるなんてことはなかったから。 頭のいい学校なら体育の授業もないのよ、 という母親に騙されて入ったその学校は ないどころかみな体を動かしたくてしょうがないという面持ちで、 週に二度の体育があった。 残念ながら月曜初めの授業は体育とは別に柔道という授業があった。 さてそのうち水曜日の方の体育は、 雨が降れば保健体育になった。 中学部のほうがその時間は体育館を使っていたからだ。

で、話は保健体育の方ではなく、 運良く良い天気で、 今日は運動場が使えるぞ、という日には私は決まって、 保健室でサボることにしていた。 一年の頃は図書室に行っていたが、授業中のはずなのに図書室にいるというのは 些か不自然だった。 実際に自習になって堂々と図書室に行けたことがあったために図書室を使ってたが、 こう、ほぼ週に一度も自習があるとおかしいのではないかと、 訝しげられてると、そう私は予想したし、 それに図書室はどんなに本棚に影があってもゆっくり落ち着いてゲームができなかった。 だから私は保健室に居座ることにした。

思春期でほとんど失語症の私に先生と会話をする勇気はなかったが、 なんだ、 指輪は中指にしてるのを見た。

明日は江ノ島に出かけようと思う。

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  (東京 . 2014/9/11 21:36))