🔙 Back to Top

Sun Jul 31 19:48:44 JST 2016

日記

勉強時間について

社会人はいつ勉強すればいいのだろうか. 業務時間中に論文とか新しい知識を摂取することはあるが、根本的な勉強から始めることは想定されているのだろうか. 正直、自分の自由度というものがどの程度割り振られているのか分からなくて困る. ていうか仕事中に漫画を読む時間があるのなら、その時間で勉強すればいいんだ. もっと精進すべきである.

夏コミについて

数年前の夏コミで、アース・スター創刊を記念する見本誌が無料で配布されていて、一冊貰った. たしか三日目で、イベント終了まで残っていたのだが、そのまま帰ろうとすると電車の混雑が容易に想像できたので、 解消するまでしばらく残っていたのだ. 夕日を見ながら、貰ったアース・スターの見本誌を読んだ記憶がある. 確か東京自転車少女。のドラマCDもついていた. もう手元にはないのだが. 少し前に漫画連載は終わったし、たいして話題にもならなかったのでアニメ化は無さそうで悲しい.

というのを、鳴海杏子がアース・スターをやめてフリーになっていたというニュースを知って、思い出した.

写真からグレイスケール画像への変換

この小題が適切かよくわからないのだけれど.

よく、Twitterに貼っつけるのにちょうどいいコマを漫画から拾いあげたくなる. Kindleで読んでるときは、画面キャプチャで事足りる. 紙の漫画で読んでるとき、スマホについているチャチなカメラで撮る. コマの枠線はは本来長方形のはずだが二次元ユークリッド幾何には思えないほど歪むし、 紙の色だったり照明の悪さで本来の白黒画像ではなくなる. そこで写真から本来の綺麗な画像を得たい、というミッションが私にはある.

imagemagick というコマンドラインから使う画像加工ツールのパッケージがある. 其の中の convert というコマンドで、写真から綺麗な画像へ変換する試みが次である.

最近知った -modulate というオプションが強い. これは全体的に明るさを明るくしたり暗くできる. 写真は大体暗いので、200 とか 400 とか指定することで、全体的に白くできる. これだけで十分かも知れない.

白黒画像にするのなら、-monochrome というオプションがある. 本来漫画は白黒画像のはずだ. 灰色な部分というのは、いわゆる「ベタ」というもので表現されていて、あれは白黒だ. 例えば点描で灰色が表現されている. しかし写真に -monochrome を適用しても上手くいかない. どうしても残る灰色部分 (写真の上の影や紙の色) を -monochrome で白黒化すると、なんていうか、綺麗じゃない点描に強引にしてしまう.

最近聞いた言葉

アニメ放送を見る媒体について

DVDを購入する、というのは除いて、放送を見る手段について.
大きく言えば、テレビで見るか、ネットで見るか、である.

とても大雑把に言うと、テレビはリアルタイム性がある. ある時刻にテレビの前に居て、30分掛けてアニメを視聴することになる. 間に挟まったCMを半強制的に見ることがテレビの収益だ. 例外としてテレビの録画がある. 基本的にリアルタイムは不便がある. 其の時刻にテレビのある場所にいる必要があって、見逃すと二度と見られない. 録画はその不便を解消するためにテレビメーカーが提供する機能に違いない.

とても大雑把に言うと、ネットでの視聴はオンデマンドである. 見たい時に見たい作品を選択すれば、大抵、何度でも再生できる. ただし大抵、視聴可能な期間が決まっていて、それは一週間である.

これはテレビのリアルタイム性が持たないメリットを持つ. しかしながらネットを利用した視聴サービスには多様性がある. すなわち、いろんな会社が、他社とは差別化した性質を持たせた視聴サービスを提供している. 中にはテレビ同様のリアルタイム性を持たせているものがある. これはやはり、不便だとわかっていながらも、オンデマンドには無いメリットがあるのだ. それは他に人も一緒に見ている感に違いなく、実況という習慣に違いない. 間違えて見逃しても、改めて見る手段は (期間一週間以内であれば) 適当なネットサービスを探せばいくらでもあるから、 視聴者にとって大した問題でもない.

で、私の興味の対象は、この地上波を映すためだけのテレビを、いつ捨てられるのか、である. 困ったことにテレビというのは、ネットよりも何故か権限が強い. ネットで見られないことはあっても、テレビで見られないアニメというのはなかなか無い. どこに面白いアニメがあるのか分からないから乱暴に何でも貪欲に見ようという人間にとって、 テレビを捨てるわけにいかない.

昨日

ボードゲームの花火をやった.
やりながらルールを勝手にアレンジをした. 山札のカードが切れたら、そこから一周だけプレイしてゲームが終了するのが本来のルールであるが、 それだと完成が無理なことが分かったので、山札が切れた後も、手札の補充という行為を除いて、出来ることがなくなるまでゲームを続行することにした. 山札が切れた場合、補集合を調べることで、自分の手札の集合だけは分かる. 出すべきカード全て (例えばある色の4の数字は二枚しかない) が破棄された故に完成が原理的に不可能、という状態でもなく、山札が切れるまで続けば、 慎重にやれば大抵完成する気がする.
実際、完成した.
あとからルールブックを確認すると、これはグランドフィナーレという上級者向けのオプショナルなルールであったらしい. ただし、このルールでは完成度について点数付をするのではなく、完全に完成するか (全色の5まで出たかどうか) 否かだけでゲームの勝敗を決めるようだ.

今日

都知事選があった.
私にも選挙権があるので投票に行ってきた. 果たしてまともな政治家らしき人間がまるで候補者にいないのだが、やっぱりみんな、やりたくないのだろうか.

映画を見た.
エヴァンゲリオンだし、あとから考察するに、エヴォリューションだった. わざと昭和の特撮という感じで作っていて、ウケがいいだろうな、と思った. 昔のドラマ風というのは、役者の演技が演技臭すぎる、という意味なのだが、あれは後からの加工によって消されるものなのだろうか、演技そのものに原因があるのだろうか.