会話をしたいわけではないけれど, 我侭を言わせてもらえば, 私の声が届いてることだけACKしてほしい. SNSは辞めるがこの日記は辞めない.
みんな誰もが終末世界 (横文字で言えばポスト・アポカリプス) が好きなのは, 今ある社会を前提にせず消費者は鑑賞できるし筆者は書けるから. ほとんど多くの作品は勝手に, その作品が販売された国の言葉を話すし, 文化や経済を受け継いているからせいぜいが拡張でしかない. 終末世界は勝手な極限を取ることが出来る. 延長といえば尚も延長であるべきだ (日本語の名残を残した文字など). そうでなければあまりにも理解ができないし, 何かしらの発見を読者に与えないと飽きられるから. しかしながら文化は今ある社会と断絶しててよい. これは書く側には負担を与えないし, 読者には何よりも心地よい, 現実逃避を与えてくれる.
ヨコハマ買い出し紀行は終末世界ものである. 終わろうとしている世界を眺めながらも, 今までどおりの世界をそれなりに続けている. 主人公が人工知能ロボットであることや, それが開発される過去の経緯なんかがたまに語られるシーンなんかは, それなりに, SFが好きな読者も飽きさせない仕組みが出来上がっている.
ところでこの作者は恐らく真面目なストーリーを作るのが苦手だ. それは, ヨコハマ買い出し紀行が完結して今連載している「コトノバドライブ」なんかを見れば分かる. そちらはSF要素が全くないので, 常識を使ってストーリーを描かないと行けない分, 作者に負担が掛かるが, 果たして, 面白くないようである.
しかし, 文明が滅んだ (滅びつつある) 世界では, それも味になる. いかにして生き残るか, 或いは終わりが見える世界で何を目標に生きるか.
もうひとつ私が好きな終末世界ものの作品で, 終末少女旅行がある. これは初めの雰囲気が好きだった. 何の目的なのかも謎に少女二人のヒロインが, 文明の滅んだ世界を旅して呑気なジョークを飛ばす漫画だ. しかしながらやがて, それは実際には意味がないのであるが, 目的を持って旅をしていたことを知る. その点では, 起承転結を守った作品だった.
ヨコハマ買い出し紀行は最後まで目的なんてない. ただ世界が本当に終わるまで, 今までを続けるだけ, 文明がある程度滅んだ分, 暇になったのをいいことにのんびりしてるくらいの作品である. それでも, 街まで行けばコーヒー豆が手に入るし, 郵便というシステムが仕事として機能している. と考えるといわゆる終末世界ものとは一線を画す. まだ全然世界は終わってない. 主人公がカフェを営んでいるというのも何かの象徴だろう.
ところでこの日記に結論はない.
ホットサンドメーカーをフライパン代わりにする. スライスチーズを焼いたらひっついて剥がれなくなった.