初詣に行ってきた.
私が水場で手を洗っていると、女性が缶切り声で喚くのが聞こえた. 私の今までの経験から言って、女性がこの手の声を上げるのは生理的にとても受け付けない害虫、もしかしたら、春と勘違いしたムカデでも現れたのかもしれない、などと思い、声の方に振り返ると、女性はこちらに走ってき、持っていた袋を私に手渡した. 一体どういうことだろう. 手に持った袋を見ると、それはピーナッツが入った袋であった. 彼女が来た方を見ると、野生の猿が、それも親子が、少し高い岩場に立ってこちらをじっと見ていた. やがて親子はのそのそとこちらに寄ってきた. 普通なら檻越しに見るはずの動物が大変愛しらしい眼差しでこちらをじっと見ていた. もちろん、手に持ったピーナッツ入り袋を、である. なるほど、ここらの人はみんなお供え用にお菓子を持っている. 猿もそれを学習してしまったというわけらしい. 幸いこちらを襲うような気配もなく、また周りに人もいなかったので、私は木陰に近いところに誘導し、ピーナッツを少しばかり地面に撒いてみた. 小猿の方は大変嬉しそうにピーナッツに飛びついたが、親ザルの方はさすがに賢く、手の届くところにたまたまあった一個だけを拾うだけで、目線は尚も、私の手中の袋だった. もっと持っているのだろう、袋ごと寄越せ. そうはっきり訴えていたのが分かった. その時だった. 住職が二人、一人はエアガンを持ち、一人は竹箒を持ってやってきた. 猿は一瞬で消え去ってしまった. 職業柄、殺すわけには行きませんからね、実質何もできませんよ、と笑って話していた.
あまりにも退屈なので文字列をリバースしてSNSに書き込む遊びを発明した.
なうよのこ でいあぐ をじも てっう うこうと るあでのるす
ひらがなに変換をして文字単位でリバースする. ただし文全体をいきなりリバースするのはさすがに頭の中でやるのは困難なので、フレーズごとということにした. ただそれだけだ. こんなことが楽しいと思えるくらいに退屈な時間を過ごしていたということだ.
ところで、 「Aを」 が 「をA」 となる. つまり「を」という助詞を目的語の前に持ってくることになる. これは全く、そういう文法の言語が発生してもおかしくないことだ.
言葉は文字として書かれる場合には多少文法は適当でもどうでもいいが、それよりも言葉は話し言葉であることが先立つから文法は上手に作られている必要がある. つまり、話し言葉では文は頭から順に発声される. 例文として「私が殴る」を考える. 書かれたものを読むなら「が」を一目に入れることが出来るが、話し言葉では「わたし」と発声した後に「が」という助詞が伝えられる. そして「が」が読まれて初めて「わたし」が主語であることがわかる. それならば「が私」とか「を私」と言うように助詞を先に読んだ方が早いのではないか? という疑問が湧く.
つまり私の主張はこうだ. (文ごとに) 文字単位でリバースしたような言語が日本語であった世界もあったはずだ. どうしてそうではないんだろう.
ところで言葉は書き言葉であるより前に話し言葉である、という考えが私にはずっとある. つまり先頭から順に読んでいってパース出来なければおかしい. もっと言うと人間の頭の空間計算量には \(O(N)\) は難しすぎるとも思う.
それだけ.
トリュフ塩の強すぎる香りは精神安定剤として働くと思う.