Wed Mar 08 2023

私はどんな私が好き?

チネチッタを名残惜しみながら出る。 駄々をこねていつまでもその場を離れたがらないのは子供のやることだ。 私はただ呆然としていて、噴水の前の階段に腰を掛ける。 同じような人が何人もいる。 泣いてる人もいる。 私は泣かなかった。 ただ呆気にとられていた。 長く続いていた一つの物語が終わった。 いつまでも続くなら、私はいくらでもそれに付き合うつもりだった。 騙されてるつもりなんてなくて、初めから、騙されてあげてるつもりだった。 隣で騒ぐカップルを見て、そんな自分をやや冷ややかに見た。 Slack で明日も会社を休むと報告をして、さて私は終電までに帰る必要はなくなった。 冷えた石階段の上に胡座をかいて今、私はこれを書いている。


さなのばくたん。 -ハロー・マイ・バースデイ- Powered by mouse

 
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はじめ、ネタバレをふんだんに含むメタ的解釈を書いてやろうとか思っていた。 名取さなという存在がどんな構造になっていて、どういう矛盾と捻れを抱えていて、今回のイベントによってそれらを解消をしようとしてたとか、どうだとか。 私がそんなことをしたらファンを敵に回すような攻撃的で冷たい帰結になるに決まってる。 私自身が熱心なファンなのにどうして?

でも少しだけ書いちゃおうかな。 名取さなが一体何を発明したのか、それによって我々がいかにして騙されていたのか。 あまりにも当たり前にあるので、この時まで自分が騙されたなんて気づいていなかったし、まだ気づいてない人もいるかもしれない。 我々は名取さなに騙されていた。

今回の実験治療が始まったのが2018年の3月16日。 彼女はここに来るまでどうやら、大きな所をいくつか、たらい回しにされてきたらしい。 本人がそのようなことを言っていた。 それでやってきたのが、こんな、申し訳ないけど寂れた、個人がやってるような小さい施設というわけだ。 正直こんな治療にどんな意味があるのか私は半信半疑だった。 でも彼女は効果が分からなくてもとりあえずやってみるという。 覇気のない声とは裏腹に治療には前向きなので、やっぱりわからない。 その日から彼女の一人称は「なとり」になった。 こういうのは一人称といっていいのかな? まあいいや。 ふわふわしてて、なんだかぼんやりしてる子なのかなと勝手に思ってたけど(まともに喋ったこともないのに)、夢中なものを見つけると凝りすぎるくらい執着するようで、彼女の生活は一変した。 それこそ、普段でも自分のことを名取と呼ぶくらいには。 次第に彼女は本当にナースのつもりでいて、毎日全員を診察しようとしてきたときにはさすがに困った。 それも最初の数日は面白がってたが、ある日ちょっとした事件が起きて、さすがにどうしようねということになった。 (今考えると細やかな出来事だったが、それでも小さな院内では殺人事件くらいに大事に扱われたのを覚えている。 ここでは人が死ぬことだって大した事じゃないのに。) そこで私は先生になることにした。 そうすれば私が患者として診察を受ける必要がなくなるからだ。 誰もが真似してやがて患者役がいなくなるとそれはそれで困ったことになると思ったが、彼女にとってそこは問題じゃなかったようだ。 もう一つ、なりたかったものがあったらしい。 学生だ。 本来なら、健康であれば彼女は女子高生の年だ。 さすがにここで制服を手に入れることはできないから、彼女はスケッチブックに制服を着た自分の絵を描くことで満足してたようだ。 私も委員長の腕章をつけようと提案した。 わからないけど、そういうものだと思ったからだ。 女子高生をやってるときの彼女は確かに女子高生だなと思った。 今日は教室でこんな話をしたとか、国語の先生がどんなだったとか嬉しそうに語る彼女を見て。

人間が怖い。 何を思っているのか分からない。 私だけじゃないはずだ。 人は他人が何を考えているか分からない。 頭の中を見ることはできない。 私はだから、生活ができませんと必死に周りに訴えた。 至極当たり前のことを言ってるつもりだった。 今でもそう思う。 だって、普通に生活するには相手が何を考えてるか分かる必要がある。 だって、誰もが本当に思ってることを言ってくれるわけじゃない。 半分は本当のことを言ってくれない。 そうしたら相手の頭の中を覗く必要がある。 でもそんなことは出来っこない。 開いてもタンパク質の塊があるだけだ。 そのどこを切り刻んで顕微鏡で見てみたってなにも書かれてはいない。 だからみんなはどうしてるのか知りたかった。 聞いたけど誰も教えてくれなかった。 それで私はここに来ることになった。 私の頭がおかしいのだとすれば、誰しもがおかしいはずなのだが。 人の言うことを半分だけ信用して、半分は嘘をついてるのだと思うことにした。 これが私が編み出した解決法だ。

実はこれは嘘で、本当は本当に私は先生なのだ。 人が半分嘘をつくということは私だって半分は嘘をついていいのだから。 本当は保健委員だって腕章なんてつけないんだよ。 私の見立てでは彼女が本当にナースを演じきるのは危険だと思った。 彼女は思い込む癖があった。 ある時彼女は隠れて注射器を手に入れてきて、患者の採血をしようとしてきたことがある。 幸いというか、当然なのだが、さすがに針は手に入れられなかったので、ごっこ遊びに終わったが(とはいえ注射器だけでも患者が持ち出せてしまうのはかなりまずい)。 演じる事自体は悪くない。 演じてる私を通して私をみることができるから。 安全な立場から冷静に見つめ直すことができる。 これは内省だ。 危険なのは作った人格を自分自身と同一視することだ。 まともな自分を思い込むことで危険な自分を押しつぶすからだ。 周りから見ると突然明るくなって社交的で健康的な人間になったように見える。 しかし押しつぶした私は無くなるわけではない。 心の奥底に眠って、しかし確実にいつか牙を向く、極めて危険な時限爆弾だ。

一つの解決策は複数を演じ分けることだ。 一つしか無いから同一視ができるわけで、すでに彼女はナース以外に女子高生という役を持っていた。 そのことを意識させるように仕向けるとあっという間に役を増やしていった。 見事に自分の世界を作り上げ、いくつもキャラクターを登場させ、名取さなをその主人公に置くことに成功した。

昼食を終えると健康時間と称して、ほぼ強制的に中庭に追いやられ、ボール遊びをしたり散歩したりといったことをする。 この時間が私は退屈で嫌いだ。 私はこのどちらをするわけでもなく、二つあるベンチの内の隅っこに座って、何度も読んで読み飽きたナイン・ストーリーズをぱらぱらとめくって気ままなページに目を通してすぐやめ、サッカーに興じる子供たちを眺めるのだった。 (そうして、週に一回程度、職員がやってきて子どもたちのボール遊びに加わるよう促されるのが本当に嫌だ。) どういうわけかこの時間を免除されてる彼女が妬ましかった。 私は心のなかで彼女を思いっきり罵倒して説教してやることにした。 珍しく彼女が中庭に出てきて、私が座ってない方のもう一つのベンチの遠くの端っこにちょこんと座ってて、普段のぼさぼさの髪をしていて、面白いことなんて何もないといった世界を諦めたような虚ろな目をした彼女が座っていて、ひょんなことで会話が始まる、そういう妄想をした。 なんでそんなつまらなそうにするのか、それはいけない、それは嘘だ。 私は如何に本当はお前が恵まれているのかという話をすることにした。 過去どうで現在どうかとかは知らない。 今は私と同じだ、私と同じ中庭で同じように退屈な時間を過ごしてるんだから。 でもきっと、これから未来は違うだろう。 なんせあなたにはやりたいことがある。 やれる事なのかは知らないけど、なりたい自分というものを既に描けてるじゃないか。 思うんだけど、皆んな漠然と幸せになりたいとか言ってて、まあそれはそうだよね。 でもたぶん幸せになる方法を知ってる人ってほとんどいないと思うんだよね。 今幸せですって言える人よりもずっと少ないんじゃないかな、きっと。 幸せだって思ってる人もなんで自分が幸せだと思えるのかわかってない、根拠がないからあるときふらっと地盤が崩れ落ちるわけ。 つまり、ずっと難しいことなんだよね、その方法を分かることって。 難しいし、強いことだよね。 実は幸せになる方法がわかってれば、今そういう状態じゃなくてももうほとんど幸せなわけ。 例えば、お金があれば幸せだっていう人はいるけど、そういう人はあるとき何かの事故でお金を失くしても動じないよね。 だってまた稼げばいいって分かってるから。 どの方向を向けばいいかが分かってるなら地盤が揺らぐことはないんだよ。 なりたい自分が分かってるのって、実はそれにかなり近いんじゃないかな。 そこまで言うと、ボールを蹴っていた子どもたちがじっと私を見ていた。 恥ずかしくなって私は部屋に戻った。 そしてその夜私は脱走した。 自分を見つけるためだ。 こんなところに閉じこもっていても見つかりそうになかった。 いくら本を読んでも、やっぱり本には本当のことは書いてないので自分には関係ないことだった。 というのは嘘で、本当はただ恥ずかしかったからだ。

翌朝、私は駅舎の待合室で寝てる所をあっさり見つかり、そのまま連れて帰らされた。 三月は一夜を外で過ごすにはまだ寒すぎた。 帰りの車の中でしっぽりと叱られた。 今から反省文だと職員室に向かうその廊下で、彼女とすれ違った。 彼女は屈託のない笑顔を私に向けてくれた。 「今朝、外出許可が降りたの」と囁く。 白いブラウスが朝日に眩しかった。