冗談でなく先月と今月お金使いすぎ問題がある. 税金だったり不可避なものもあるけど. 分かってるのに moon PREMIUM EDITION を, 人が買ってるのを見て, 買ってしまった. 8800円. これからこのサントラが届いてまたそれが一万円弱する請求が来るはず. お金で悩むのは苦しい.
↑ Amazon限定PC壁紙を外して7200円で買い直した.
商品の値段の一部は間違いなく, その商品が私の手元に来る迄に掛かった人件費及び製造コストである. これは現在の大抵の社会で間違いなくそうだし, 大抵の思想の人たちはそれはそうだと認めている. しかしだ. 消費者にとってはつい, 知ったことではないということになる. Amazonに支払った7200円の中には間接的に, 配達業者に支払われる代金の一部が含まれているのが事実だ. しかしそれがいくらであろうが, 私の知ったことではないし, その商品の本質的な価値の中にはそれは含まれないようにどうも思える. 安い労働者が多少乱暴に配達しようが, 高い労働者が懇切丁寧に配達しようが, 届く中身は同じだ. 私の人生への寄与は中身が重要だ. とかいうと, 安い配達業者だと, 箱を凹ませたり, 最悪, 中を故障させるだという指摘がありえる. それはそうだ. 故障されたら困る. Amazonの場合はおそらく返品や交換に対応してくれるが, 結局このためのコストも, 元々の買値に含まれているからこそ, 気前よく対応してくれるわけだ.
上手く出来てるように思えるが, もやもやが残る. 多少乱暴ではあったが, それでも無事に届けてくれた場合は? 交換の対応のための確率的なコストがやはり含まれていて, 私は無駄にこれにお金を払ったことになる. この最適化問題を考えると至上主義または社会主義になってしまう. 問題の解き方によって前者になったり後者になったりするわけだが, 問題意識は少なくともこの点において同じだ. これらは社会全体の最適化問題になっていて, 私一人のことを見てくれてるわけじゃない. 資本主義も社会主義も共産主義も, それらはお前個人を豊かにするのが目的ではない. ゆめゆめ忘れるなかれ.
何が言いたかったかというと, 7200円で買った商品が家に届いたとき, 私は7200円分の資産を手に入れた, ということにはならないのである. もしそうなのであれば, 私は買い物によって1円も損していない, ただお金が商品に形を変えただけだと言える. しかしそうではない. その資産の価値は残念ながら7200円未満である. 買い物というのは, すればするほど, 資産を減らす行為である.