夢日記/電車

電車の乗り方

電車での片道一時間半をどう過ごすかは大きな問題だと思う.

一つ、音楽を聞く. 一つ、本を読む. 一つ、人間観察をする.

これらは組み合わせが可能であり、本を読むフリをしながら人間観察をする、といった応用が有り得る. ところで人間観察をするとは具体的には何をすることを指すだろうか.

人の顔を見ることについて. 人は視線に敏感な生き物である. じっと顔を見ていると相手は自分が見られていることに気附き、やがて目が合う. 大変気まずい思いをするので止めたほうが良い.

人の服を見ることについて. 同性の服装を観察することは常識を学ぶことになるので悪いことではない. スーツを着る場合には革靴を履くべきである、とか. 異性の服装を観察することは単に楽しい. 自分は、こういう服装を着た異性が好みだなと思ったりする.

人のスマホの画面を覗くことについて. これはもはや人のプライバシーを侵すことになるので、基本的には避けたほうが良い. しかし見えるものを見てはいけないという法律はなく、単に道徳の問題である. そして人のプライバシーというのは、楽しい. 人がどんな過程を掛けてツイートをするかを見たことがあるだろうか. たった一文に何十分も掛けて推敲をしてツイートをする男を私は見たことがある. 実際に見てみるまでは、そんな人間がいることなんて思いもしなかっただろう. 観察の対象はどうせなら、自分と離れた世代の方が楽しい. それも自分より先に死ぬであろう上の世代よりも、下の世代の人間に限る. 自分が死ぬとき、まだ生きているのは下の世代だから.

電車に入るとざっと見渡し、空いてる席が無いのを確認すると、私はドアの付近に立って、とりあえず本を開く. 顔を動かさないように視線だけを隣にやると、座席の一番端に女子高生が座っていた. 女子高生は猫背のように身体を丸めてうずくまっていて体調が悪いようにも見えたが、ひと駅程経った頃だろうか、女の子は急にきびきび動いたかと思うとスマホを取り出した. その青い画面はやはりツイッターのようだった.

死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね 右下の文字数のカウントはすでにマイナスに突入しており赤く表示されている.

私は女子高生の隣が空いたのを見て、さも今開いたドアから入ったばかりを装って座った.

女子高生のツイートは文字数制限のために投稿出来るはずもなく、タイムラインのチェックと LINE の会話履歴の画面を交互に遷移するだけとなった. 私はつまらなくなって、やがて本を読むことに集中しはじめた. 降りる駅の一つ前の駅名がアナウンスされた. 突然、私は今の時刻を知りたくなった. 私は腕時計をしない. キーボード操作をするときに腕に腕時計のバンドが当たる感覚が不快なので、もういっそ腕時計をしないことにしたからだ. 時刻を知るためにはスマホを開けば十分だからだ. 側面の電源ボタンを一度押せば、ログイン画面になり、時刻が確認できる. 私は満足してスマホを左のポケットの中に戻した. この行為がいけなかったらしい. 私は再び読書に戻り、そしてタイミングを見計らって、電車を降りるために本を鞄に戻して立ち上がった. その時、左腕に力強く掴まれる感覚があった.

人間観察のコツは相手の顔を見ないことである.

断固として私は事務室へ行くことを拒否した. こんなときに味方はいないものだ. 同性ほど厄介だ. 正義感ぶる奴は昔から嫌いだったが、今ははっきりと、そういった人間が敵であることを悟る. 盗人にも三分の理だとか、死刑制度の廃止だとか、そういうものにただならぬ同情を昔から抱いていた. それは結局、自分の身を案じてのことなのだ. つまり、いつ自分が裁かれる側になるかが分からないからなのだ. 人が殺人をれっきと犯罪だとするのは、自分が殺されたくないからなのだ. 私は、スーツを着た人間のことが嫌いだ. 正確に述べると、スーツを着た人間のことを信用できると思う人間が嫌いだ. こんなことなら私もスーツを着ていれば、少しは信用されただろうか. いや、このボサボサの髪をどうにかしないと無理だろうな. 泥棒だってスーツを着るのだ. 私は泣き崩れる女子高生の隣で、サラリーマンに腕を先ほどとは比べ物にならない力で掴まれ、駅員はこちらなんて無視して女子高生に事務室で伺いましょうとか言っている. 女子高生の表情は見えない. 私は、かえって好都合だと思った.